今は廃線になっていますが、拝島駅と立川駅の間にはほぼ直線に走る青梅線とは別に当時の集落の間を通っていた奥多摩街道とほぼ平行に五日市鉄道が走っていました。
そのルートは出来るだけ集落の近くを通したい、 しかし近過ぎると色々と公害の心配もあるとのことで、妥協の産物として決まったようです。
下↓の地図上で、青い線 がかつて五日市鉄道が走っていたルートです。
今は道路として残っている所もあれば、家が建って痕跡が完全に消えている所もあります。
昭島市は平成17年3月に市制50周年を記念してこの道路を 「五鉄通り」と命名し、「五鉄通り」という表示板を設置しました。「五鉄通り」という表示板は五日市鉄道が走っていたルートに沿ってあちこちで見ることが出来ます。
とは言っても、・・・・案外見つからないものです。
五日市鉄道の拝島・立川間が開業した時には、青梅線の拝島・立川間には、中神駅しかありませんでしたが、五日市鉄道には、南拝島、武蔵田中、大神、宮澤、南中神、武蔵福島、郷地、武蔵上ノ原の8駅がありました。
拝島・立川間で見ると、青梅線に対して五日市鉄道は一見、集落を縫って走るバスルート的な存在に見えます。
拝島・立川間については、1930年(昭和5年)7月13日の五日市鉄道開業後、 1944年(昭和19年)に営業休止されるまでの約14年3ケ月間に、 途中駅として中神しか駅が無かった青梅線にも、 1930年7月16日には西立川、 1938年(昭和13年)には昭島、 1942年(昭和17年)には東中神、 と駅が増えて4駅になり、現在に至っています。
1944年(昭和19年)10月10日に五日市鉄道の拝島・立川間が営業休止されました。
当時の拝島・立川間の青梅線と五日市鉄道を比較すると、五日市鉄道の拝島・立川間が営業休止される半年前の1944年(昭和19年)4月1日 に両路線共に国有化されていましたが、青梅線は電車が走り一部が複線化されていたのに対し、五日市鉄道はガソリンカーや蒸気機関車が走り単線でありました。
しかも五日市鉄道の方が路線が長かった等により、第二次世界大戦の終戦の約10ケ月前に五日市鉄道の方が運輸営業休止になったと思われます。
1944年(昭和19年)に五日市鉄道の拝島・立川間は営業休止されましたが、 武蔵上ノ原−立川間の路線は今も青梅線の一部として残っています。
Google Map を使って五日市鉄道の廃線跡を散策できます |
このホームページを見て、あなたは実際にその場所に行ってみたいと思ったかもしれませんが、行動に移すとなると案外面倒かもしれません。
歩いて行くとなると、家が建っていて行き止まりになった時には、その先に進むためには大きく迂回しなければいけません。車で行くとなると、駐車場が無かったり、一方通行だったりします。もしかしたら自転車での散策が楽かもしれません。
ですから実際に現地に出掛けるに先立ち、まずは、 Google Map を使っての廃線跡散策をしてみてはいかがでしょうか?
下の地図を拡大してもダメですが、 こちらから新たにGoogle Map を立上げればストリートビューが見られます。
「拝島駅」で検索して、近くの地図を出し、下の地図を参考にあなたの見たい場所のストリートビューをご覧下さい。通常のGoogle Map 同様に、地図、写真、地形、ストリートビュー、等が見られます。
下↓の地図上で、
のマークは駅があった場所です。マークを左クリックすると駅名が表示されます。
拝島側から立川に向かって、 南拝島、武蔵田中、大神、宮澤、南中神、武蔵福島、郷地、武蔵上ノ原、と並んでいます。
のマークは五日市鉄道にゆかりのある特別な展示物が見ることの出来る場所です。 地図上で、マークを左クリックするとどんなものが見えるのかの説明が表示されます。
下の地図には4つのマークがありますが、左から右に次のものが見ることができます。
1.新奥多摩街道近くのモニュメント
2.大神駅跡公園のモニュメント、 大神駅跡公園の案内板
3.八高線との立体交差跡、今は歩行者用の立体交差になっています。
4.昭和公園入口付近の案内板
ストリートビューの見方については、こちらを参考にしてください。
しかしどうしてもご自分の眼で直接確かめたいというあなたにとって、 出掛ける上でこの地図が参考になればありがたいです。
地図上で、 の線は当時の集落を通っていた幹線道路であり、今も奥多摩道路として残っています。
も当時幹線道路の一つでした。
より大きな地図で 五日市鉄道の拝島駅・立川駅間のルート を表示
↑こちらをクリックした場合は、ストリートビューは見られません。
ストリートビューを見るためには、新たにGoogle Map を立上げて下さい。
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